Web とオープンソース
IT と Web を外から見ていると、オープンソースが非常に盛り上がっているように見える。その実態は中の人にしか分からないことだが、想像するに、ソースコードは各社でビシバシに弄られ、ブランチとして保守され、一部がフィードバックされまたコミュニティが盛り上がる……そんな世界に違いないと考える。
しかし、こと Web に関しては「オープンソースが盛り上がっている」というより「そもそもオープンソースしかない」というのが実状らしい。なにしろ商用ミドルウェアが存在しないに等しい。
先日、「中を弄らないから Havok 、中を弄るから Bullet 」と例えた前回のような切り分けは事実上成立しておらず、「中を弄ろうがオープンソース、中を弄るまいがオープンソース」という感じだ。
その主たる利用感覚は、自分でいえば「ライセンスとソースコード一式をフリーで買った」という感覚に一番近いと感じた。保険としてソースとライセンスを手に入れるが、原則としては開発元のサポートをアテにするというスタンスだ。
といっても、「そのまま使うにもオープンソース」「いじって使うにもオープンソース」と、選択肢がほとんどないので、その心情も人それぞれ、業者それぞれで一様ではない。
また、一概にオープンソースといっても、
- 本来ならミドルウェアとして販売できるかもしれないが、オープンソースとして出しているもの
- 昔でいうところのフリーウェアとしてやってるもの
- 開発プロジェクトはフリーウェアで開発しているが国内で商売っ気を入れてるもの
など様々なパターンがある。そもそもオープンソースというのはライセンスなので、ライセンスによってプロジェクトのポリシーが決まるわけではない。しかし、「オープンソースかくあるべし」という意見は人によってあって、それぞれ相性の良いプロジェクトとそうでないプロジェクトもある。
IT/Web は相当ビジネス側に寄っているので、フリーソフトウェア感覚でいると痛い目に遭うことが多い。少なくともフリーゲーや Mod の感覚は通用しない。
少し具体的な話をすると、いま自分が一番時間をかけている XOOPS Cube というプロジェクトは、ボランティアベースのプロジェクトで、フリーゲーム開発に感覚が近い。しかし慢性的な人手不足のため、ドキュメントなどの足回りがかなり弱く、ユーザーからよく指摘される。
しかし、こういうプロジェクトでは、ボランティアとユーザーは同じレイヤーにいる。そこで、プロジェクトとしてはユーザーにドキュメントをコントリビュートして欲しいと頼むわけだが、これがなかなかうまくいかない。
よし、まぁそれは有志では時間面で限界がある。でも Web には業者さんがいるから、いつか業者さんが来たら何とかしてくれるだろう!とみんな考える。ところが、実際に業者が来ると、何とかするどころか、業者によっては一般ユーザーの3倍くらいの勢いで不平を出してくるのだ。
これ業界によってはアリエナイ行動だと思う。例えばフリーゲームやフリーのゲームライブラリを開発して公開していたとして、そこに業界の人が来て「これはビジネスで利用できない」とか「ドキュメントがないから仕事で使えない」なんて絶対言わない。
プロの開発者が PHP のイベントで、落ちているフリーアプリがビジネスで利用できるかどうかコードレビューするというシーンも見た。かなり驚いたが会場の人は皆平然としていた。つまり、その業界では当然の行動だったわけだけど、あれをゲーム業界でやったら大炎上だろう。
ということで、初めはビックリしていたが、慣れるとカルチャーギャップが結構面白い。要はプロとアマが OSS というビーカーの中で溶解しているということだと思う。
(ただ、やってる人のプロ意識は凄く高い)
だから、同じ業者でも千差万別あって、びっくりするくらいフィードバックをしてくれたり、エンジニアを出してくれるところもあれば、地雷バージョンのテストが終わるのをじっと待ってるところもある。傍で見ていれば分かるだろう。
感覚的には、一緒に種を撒くタイプと、稲刈りだけに来るタイプが、1:3くらいの割合でいる。で、稲刈りだけに来たら田植えに巻き込まれたというタイプも若干いる。(^_^;)
こっち(フリー側)はこっちで、趣味で家庭菜園やってたら、知らん商売人の商売に巻き込まれた、みたいに感じる時もある。来るなり「こんなんじゃ売り物になりませんなぁ」みたいな態度の人もいる。
商売の話よりまずここに来て雑草を抜け、肥を撒け、と思うんだけど、 Web 的には全然ありな態度なのでこっちが慣れるしかない。これは楽しめない方のカルチャーギャップ。けど XOOPS Cube プロジェクトは相当恵まれているほうだと思う。
こっちはずっとフリー側にいるので、やはり最初は同じフリー側でやってて、後から業者側に行ったような人は、コミュニティにおけるスタンスは昔と変わらないな、という印象がある。