高位で創るか低位で生きるか

こないだから、ゲーム会社のプログラマは、ランタイムやツールキットの開発者として生きるか、それらの上でスクリプト言語プログラマゲームクリエイター)として生きるか、選択の時が来ると、何度か書いとる。しつこーてすみません。じゃけど、これはもう間違いない。汎用エンジンの上では当面*1スクリプトも相当書かにゃあいけんし、ゲームデザイナとは別の種類のスクリプトプログラマが絶対必要になるじゃろうし。

昨日上司から「その選択の時が来たらどっちに行きたい?」と聞かれた。こんな仮の話にも即答できないくらい迷ったけど、まぁ普通そうじゃろう。どっちもやりたいのに、どっちか選べと聞かれれば迷うわーね。エースと4番どっちがやりたい?と聞かれて即答できる人はおらんじゃろう。

ただ、(そのための技術があるかどうかはともかく)たぶんわしは低位を選ぶじゃろう。思うんじゃけど、本当の意味で「やりたいこと」って「負けたとき」に気づくんじゃなかろうか。自分が所属するチームのゲームが海外の大作とかに(あらゆる意味で)負けたとき、どこのパートに悔しさを感じるかなと想像すると、たぶん基礎部分。欧米の奴らと下層で戦いたいと思ったし、そこで負けるなんて絶対やだ。そういやぁ、アニメ業界におった頃もそうじゃった。作画より、ただひたすら自分たちのフィルムのCGI技術がサンライズと比較してウンコレベルなのを気にしとった。じゃけー当時はCGIで戦いたかったんじゃろうなぁ。

4番とエースのどっちがやりたかったんか。その答えもたぶん試合に負けたとき分かると思うんよ。攻撃陣として実績を挙げても、チームの守備陣が殺られたことに恥・悔しさ・後悔を感じたら、たぶんその人のやりたかったことは守備じゃったということじゃと思う。逆に言やぁ、勝ち続けて甲子園で優勝までいってもうたら、ほんとはどっちがやりたかったんか分からんままかもしれん。

「ここで戦うんだ」「この要素でライバルメーカーを打ち倒すんだ」「この部分で負けて悔しい!死にたい!」と思う部分が、真にやりたいことなんでは……って、カルシウム足りとらん?

高位でデザイナと混ざってゲームを創る場面に必要な才能が自分にあるとは思えない(たぶん"ただのスクリプトコーダ"に成り下がるじゃろう、というくらいゲームの面白さには貢献できん自信がある)というのもあるし、せっかく低位にも手を出す会社におるんじゃけーやってみるかというのもある。

それにわし、スクリプトでゲームを簡単にコンストラクションするんが昔から大好きなんよ。じゃけー逆にそのランタイムを作ってみたい。まだ誰も正解を見つけとらんと思う。ランタイム上でのゲームクリエーションでも色々思うとこはあるけど、その思いほど強くはない。

あと、ゲームで必要とされる技術も最近スクリプトドリブンからまたメカニズム重視に変わってきた(顕著なのがスクリプトからAIへの流れ)けー、コンテンツに全然関わらんということもないと思う。

などなどツラツラ書きましたが、やっぱり両方やってけたら幸せじゃなぁー。そうか、そういう自分が望む未来になるように、そういうブレイクスルーを生み出す技術を発明して実装すりゃーえーんか。

*1:人類が次のブレイクスルーを起こすまで