「みんなが幸せになる」

 (表の)オープンソースでは、たまに「みんなが幸せになる」というフレーズを耳にすることがある。同じオープンソースでも、 IT PLAYS DOOM 目指してガジェットにDOOMを移植する挑戦をしたり、Quakeの改造をしたり、MMORPGを開発している者は、例えそれに数百時間を費やしても、どれだけのコードをフリーで出しても、このフレーズを耳にすることはないだろう。僕もXOOPSに関わるようになって初めて耳にし、今もXOOPSとかOSC以外で聞くことはない。*1

 この「みんなが幸せになる」というフレーズは、とても耳ざわりのよい言葉で嫌いではない。しかし言葉の特性と活動の形態上、しばしば、違和感を感じる利用シーンがある。例えば、人を説得するときに使う場合だ。

例文)
「この仕様 or 計画を採用すれば、みんなが幸せになる」

 なにかとても奥歯にものが挟まったような表現に僕は感じる。*2

 こういうフレーズを出されると、空気が読めるはずの僕としては、そこにある空気を読もうとして延々と独り考え込むことが多い。

 まず、「みんな」が「オールレンジに広く大勢」なのか「特定の超大勢」なのか曖昧なことが僕にとっては引っかかる問題で、ものすごく嫌だ。例えば飲み会の割り勘で「ここで部長が奢ってくれたらみんな幸せになる」というセリフが出たら、部長の人格次第で本当に全員の幸福が成立しそうだから良い。しかし排他的な仕様の採用などでのケースでは、もっと統計的な情報を付け加えてもらえると咀嚼しやすい。

 似たような立場の5〜6人ならともかく、不特定多数の世界に「全員の幸福」が存在しないことは大人なら分かってる。それでもあえて「全員の幸福」を追求しようというガンダーラな意味なのか、ボキャブラリー不足で「みんな」と言ってしまっただけなのか、とても大切なことだ。たとえば、

オープンソースを利用すれば、大企業の値段の高い仕事はなくなり、小さい会社でも大きな開発ができるようになって、みんな幸せになる」

 みたいなことを言う人もいる。大企業の中の人、幸せになってないじゃん!と、突っ込みが一発で成立するようなケースは、「わたしたち」と言うべきところを、(そこにたくさんいると本人は思っている同じような状況の人という意味で)思わず「みんな」と言ってしまったのだと思う。こういうのはすぐ分かるからいいんだけど……

 この「みんな」を客観的に測定する方法があることに気づいた。「みんなが幸せになったあとの全員」から「いま幸せな全員」を引き算して、差集合の中身をみればいい

 そこに特定業種の人しかいなければ「特定業種の人が幸せになる提案」。そこに特定機種の人しかいなければ「特定機種の人が幸せになる提案」ということになる。もしそれが「みんな」なのかどうか確認したい場合は、(コミュニティ内かユーザー内の)統計で分かる。

 昔 XOOPS Cube では、「W3C Valid テーマでないと Web 業界の私たちは飯が食えない」とキッパリ言った人がいて、争点が明らかになったことで、切り替え式のレンダーシステムの設計の採用につながった。最近はこういう場合でも「みんな」という言葉を聞くことが多くて、僕みたいにいちいち考え込む人間は、いちいち咀嚼に苦しんでしまう。

 引き算で差集合が出せることに今更気がついて、最近はだいぶ楽になった。似たような性格の人にはお勧めの方法です。

*1:「みんなの幸福」以外には、「集合知」とか「公共」とか「社会云々」とかいう話がよく出る。「集合知」は最初聞いたときは「集合地」と空耳したが、隣りにいた人は「集合値」と空耳してて、てんで会話にならなかったことをよく覚えている。表の世界は大変だと心底思った。

*2:むかし研修で、マンツーマンのコミュニケーションでは、「僕とあなた」以外のところで「一般的に、世間的に、常識的に」という存在はなるたけ出すな、と言われたが、それに近いものもあるかもしれない。